私という人間を 少しでも、知っていただきたかったから
みっともないこと。照れくさいこと。情けないこと。
かっこつけずに、全部さらけだしました。
広告の仕事を始めたのは、ちょうど10年前の30才のとき。

パソコンなし!
経験なし!
人脈なし!

の男がいきなりデザイン事務所を立ちあげ、
「デザインなんて、誰でもできるじゃん!」と粋がって、やったこともない営業と、
作ったこともないチラシを、折込チラシのデザインをパクりながらスタートしました。

そんなある日、尊敬する先輩デザイナーの一言で、
自分の広告に対する考え方が180度変わる出来事が・・・。

先輩「参ったよ! クライアントが、チラシをだしたのに反響がないって、ボヤいてんだよ。
                             俺には、関係ないっての!」

私の心の中「あれ? 何かがおかしい・・・。」


お客様は、集客が目的でチラシをだしている。
でも、その先輩デザイナーは、自分のデザインが最高ならそれで良し、と考えていた。
これって、デザイナーとお客様の気持ちがつながっていない。
っていうか、
それまでの私は、先輩デザイナーと同じ考えだったことに気付きました。

よし!
これからは、集客率にこだわったデザインをしよう!
  

そう意気込んでみたが、そんなノウハウはもちろんなかったし、
どうやってその知識を身につけたらいいのかもわかりませんでした。
マーケティングの勉強や広告の本を片っ端から読んで知識は身についてきたけど、
どうしても自信がもてないときが数年間続きました。
そんな時、妻の一言がきっかけで仕事に対する熱意が、一瞬で、冷めてしまったのです。

結婚生活を6年共にした妻が、
「離婚したい」と、告白。

生まれて始めて、目の前が暗くなるという言葉の意味を知りました。
その頃の自分は、抜け殻という言葉がぴったりの男になっていました。
クチでは、「集客向上提案型」をウリにしていたが、正直、どうでもいいよ、
というマイナス思考の人間に除々に染まっていきました。

そして、自分は落ち込むと必ず子供時代を思い出して、自らを卑下しました。
家の事情で、高校生になるまで自分の本当の父親と母親が誰なのか、わからなかった。
幼少時代は、子供のいない夫婦に預けられ、転々としていた。
そして、自分にとって、本当の父方の叔父。
私にとっては、本当のおじいちゃん(後からわかった)から、バットや鉄パイプで、
しょっちゅうひっぱたかれていたことを思い出していました。

「この人は、俺が邪魔なんだ」
「この家には、俺の居場所は無いんだ」

と、一人で悲劇の男ブッていました。

完全に人間不信になっていました。

妻との離婚が成立したのは、その頃でした。